オン・ステージ第二集 ポーの歌
作詞:花岡としみ 作曲:浜口庫之助

不詳

 

 俄に浜口庫之助がブームになっている。。。 何かあった?(○回忌とか)
 トリビュート・アルバムには、今更のように吉田拓郎の『夜霧よ今夜も有難う』('77)のカバーも収録されている。

 が、拓郎がそれよりずっと前に、ハマクラさんの歌をカバーしていたことはあまり知られていない。
 何故あまり知られていないか?
 それはなんとそのレコードに「吉田拓郎 作詞・作曲」とクレジットされているからだ。

 と、ここまで知ったかぶっておいて、実はこの歌の本当のタイトルを僕は失念した。
 『ポーの歌』ではなかったことだけは確かだ。
 ネットでいろいろ検索してみたが、遂にわからなかった。だからこのコラムにも暫定的に『ポーの歌』と記載させていただいたが、ご存知の方がありましたらどうか教えてください(『おいらはポー』とかじゃなかったかな…)。

 この歌、昭和30年代に或るラジオ番組の《今月の歌》みたいなコーナーで、1ヶ月間かかっていた歌らしい。
 花岡としみという人が作詞をし、作曲が浜口庫之助。花岡としみさんがどんな方なのかも調べてみたがわからなかった。

 ラジオから流れるこの牧歌的な歌を、拓郎少年は毎日聴いていたのだろう。その耳で覚えた歌を、記憶を頼りに再現し、ステージで好んで歌っていた。
 そう、拓郎はデビュー当時、自作の歌に限らず、好きな歌はどんどんレパートリーに取り入れていた。斉藤哲夫の『されど私の人生』、及川恒平の『面影橋から』、小室等の『雨が空から降れば』、フォーク村時代の仲間の『もうお帰り』、レイ・チャールズの『What'd I Say』(爆)等々、、、『されど私の人生』の人生など、もう拓郎の歌のようになっていた。

 そうしてうろ覚えでステージで歌っていた『ポーの歌』が、拓郎の与り知らぬ処でレコード化され、不幸は起きた。

 作詞者である花岡としみさんが偶然拓郎の『ポーの歌』を耳にし、自分が作った歌と酷似していることに気付いた。果たしてあの歌は自分の歌じゃないのか…? 調べてみると、「吉田拓郎 作詞・作曲」とある。
 そこで「吉田拓郎・盗作」の新聞記事が出てしまった(79年のこと)。

 拓郎の『ポーの歌』が収録されているアルバムは、『たくろうオン・ステージ 第二集』('72)という2枚組のライブ・アルバム。
 アルバム『人間なんて』を最後に、拓郎はデビューから在籍していたエレックからCBSソニーへレコード会社を移籍していた。
 移籍後拓郎は『結婚しようよ』『旅の宿』がブレイク。ドル箱を失ったエレックは、その拓郎人気に便乗しようと、71年8月に渋谷ジアンジアンで催された3days ライブ(3日間でレパートリーを歌い尽くすという主旨で、ダブリなしのボリウム満点のライブ)の音源を本人に無断でリリースしてしまった。
 これには拓郎も激怒したらしい。そこで話し合いの末、イニシャル数を決め、再プレスなしという条件で限定発売になった為、この2枚組はファンの間でも貴重な盤となった。勿論、CD化もされていない。

 そんな事情で勝手に「吉田拓郎 作詞・作曲」として世に出てしまった『ポーの歌』。作者とはきっちり話はされたようで、ハマクラさん本人も経緯に同情的コメントを寄せていたのを読んだ記憶がある。
 拓郎本人も、うろ覚えとはいえ、正規の歌詞と比べると自分がどれだけ未熟であったか反省するコメントを出していた。
山鳩ポッポ 朝からポー
おいらはほっぺが ポー ポー
お天気かげんじゃないけれど
草刈り出がけの山の道
加代ちゃんといっしょじゃな
ポ ポ ポーのポー

お日さまポー 山からポー
おいらは胸じゅう ポー ポー
ここならほんとのふたりきり
こっそり言おうか言うまいか
加代ちゃんが好きだとナー
ポ ポ ポーのポー

汽笛がポー 町からポー
おいらはおいらは ポー ポー
ゆうべの夢では言えたけど
ちょっくら日なかじゃ恥ずかしい
加代ちゃんのえくぼにナー
ポ ポ ポーのポー
 心が洗われるような、純朴でとっても素敵な詞でしょ?
 譜面を見ると、メロディも拓郎が歌っているものとは若干違う。
 思わぬアクシデントはあったけど、拓郎少年が気に入り、自分で歌いたくなった気持ちが何だかよくわかる歌。
 あ〜、やっぱりハマクラさんはいいよなぁ〜 …と思ってしまう。

 ラジオからこぼれ落ちたその音を、とっても聴いてみたい。



その後、YASさんからの情報で、この歌は正式には『おいらはポーッ』(花岡としみ(家の光協会)作詞)であることが判明しました。

 


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