雨の日は家にいて 雨の日は家にいて
作詞:康珍化 作曲:岡本一生

山下久美子

 

雨が降ります 雨が降る
遊びにいきたし傘はなし
紅緒のかっこも緒がきれた
 北原白秋の『雨』は、メロディも手伝ってか、やけに物悲しい。
 しかもその3番には
雨が降ります 雨が降る
ケンケンこきじがいまないた
こきじも寒かろ淋しかろ
 と、ちょっと残酷で痛烈な淋しさが歌われている。

 同じ白秋でも『雨ふり』になると、打って変わって明るい。
あめあめふれふれ かあさんが
じゃのめでおむかい うれしいな
ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ らんらんらん
 これは雨がうれしいのか、かあさんが迎えに来てくれるのがうれしいのか。多分、後者だろうな。だってこれも3番では、
あらあらあのこは ずぶぬれだ
やなぎのねかたで ないている
 と観察し、それを「ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ らんらんらん♪」などとは、何と無神経な!(笑)。(まあ、4番でその子に傘を貸してあげてるからいいんだけど)
 誰かと居るのが鬱陶しくなることもあるが、やはりひとりぼっちは淋しい。

 同じ「ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ」でも、「らんらんらん」と続かない歌がある。
ティピティピ タプタプ
Rain drops fallin' on my hert
 マイ・ハートに降られてしまっては、さすがに「らんらんらん」とはこない(笑)。『雨ふり』のように能天気でもなく、『雨』ほど沈まない。でも自分を俯瞰できる姿が、却ってかなしい山下久美子の『雨の日は家にいて』。
雨のむこうに おちる雨の音
指で数えて ほおづえつくわ
 康珍化は、時々とてつもなくうまい詞を書く。この出だしは素晴らしい。もうこれだけでどれだけの切なさが襲いかかってくるか。
 2番では同じ部分が、
屋根のむこうに ぬれた屋根の波
泣かなかったわ 別れのときも
 と、まったりとしながらもとりとめのつかない自分の気持ちを、状況だけで語っている。

 理由は忘れた。いや、理由なんてなかったのかもしれない。
 学生の頃、つきあっていた彼女と別れ、気持ちだけでなく時間もぽっかり空いてしまい、一日の何もかもを僕は持て余していた。
 日中のテレビはどこにチャンネルを合わせても面白くなく、各局が流しているワイドショーより教育テレビの子供番組を選び、観るともなしにただ画面を眺めていた。
 いまからは考えられないが、あの頃は本当に時間がいっぱいあった。

 電話も鳴らない、誰とも話をしない一日を、不思議と孤独とは思わなかった。たまにはこういうこともあるさ。それにもともと僕はひとりだったじゃないか。
 ただ、一度覚えてしまったぬくもりが、どうしようもなく淋しく、淋しく、淋しくさせた。

 この歌を聴いていると、あの日の淋しい自分を思い出す。
雨のむこうに おちる雨の音
指で数えて ほおづえつくわ
たずねる人も 電話もこない
ひとりぼっちの 日曜日

手もちぶさたで 始めたそうじ
終われば部屋が ガランと広い
いつも近くに いたひとだから
気づかないのね ぬくもりなんて

古いアルバム ひろげてみたり
テーブルクロス かえてもみたり
雨の日は家にいて

ティピティピ タプタプ
Rain drops fallin' on my hert

胸にしみこむ 想い出ばかり

屋根のむこうに ぬれた屋根の波
泣かなかったわ 別れのときも
心うらはら 悪い癖だね
片意地はって 困らせたっけ

わたしのいちばん いやなとこだけ
胸にきざんだ そんな気がする
雨の日は家にいて

ティピティピ タプタプ
Rain drops fallin' on my hert

雲の切れ間は まだ遠い街

ティピティピ タプタプ
Rain drops fallin' on my hert

ひとりぼっちが 好きになりたい
 この歌は何故か、繰り返し聴きたくなる。繰り返し繰り返し聴いて、気分が暗く沈むことはない。そして最後の一行が、何度聴いても圧巻だったりする。
 伊藤銀次によるアレンジも秀逸。

 


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