BLONDE ON BLONDE BLONDE ON BLONDE
BOB DYLAN

 

 『BLONDE ON BLONDE』('66)について、何度も書こうとしたけれど、いつもうまくいかなくて。今回のコラムがうまくいったってことじゃないけど。

 セッション・ミュージシャンは、アル・クーパー、ロビー・ロバートソン、ウェイン・モスらに、チャーリー・マッコイ、ハーガス・ロビンスといったナッシュビルのスタジオ・ミュージシャン。
 「ナッシュビルのミュージシャンたちとは、カードばかりしていた。ディランが一曲書き上げ、それを録音するとまたカードに興じる。彼らは自分たちのいつもの音を出していただけ」などとロビー・ロバートソンは語っているが、アルバムに詰まっている音はとてもそんな風には思えない、神がかりとも云えるくらいのオーラを放っている。

 プロテスト・ソングの旗手としてスターダムにのし上がったディランが、アコースティック・ギターをエレキに持ち替え、非難を浴びてから1年以上が経っていた。そしてディランの歌はエレキに替わっただけでなく、プロテストからも離れていた。

 ごく個人的な女々しいラブ・ソング。敢えて云うなら『BLONDE ON BLONDE』は、報われない恋を歌った作品集。どの曲もあまりにも切なく、恋の渦中にある者には胸をえぐるように伝わってくる。
君を失うために
僕は生まれてきたんじゃない
君が欲しい…
(『I Want You』)

君の窓辺に立ちつくしているんだ
これが初めてじゃない
悪意なんてなくて
君の二つ目のドアを見つめてる
知らんぷりなんてどうしてなの
(『時にはアキレスのように(Temporary Like Achilles)』)

おれはふさわしくない
そう信じてる
もうやめる時がきた
また会うことがあり
友達だったと紹介されたら
どうかばらさないでほしい
(『女の如く(Just Like a Woman)』)
 それまでもディランはラブ・ソングを歌っていなかったわけではない。『フリー・ホイーリン(The Freewheelin' Bob Dylan)』('63)にも『時代は変わる(The Times, They Are A-Changin')』('64)にも『追憶のハイウェイ(Highway 61 Revisited)』('65)にも、ストレートな「I Love You」でこそないが、ラブ・ソングと呼んで構わないだろうナンバーは入っている。
 がしかし、『BLONDE ON BLONDE』に於けるディランの哀願は、どこかミゼラブルな雰囲気が漂い、それまでのディランの歌とは違う圧倒的な質感を持っている。その苦しさ、惨めさ、無垢さ、屈折が強く激しく聴く者の心を揺さぶる。
 その言葉はとても抽象的だったり、直接的だったり。傷つきやすさが膝を折って座っているかのように。

 そしてその言葉たちについて特筆されるのが、どの歌詞も見事な韻を踏んでいて、その韻がきちんと意味を持っていたりすること。これは職人技と呼べばいいのか、天才技と云うべきなのか。
 『I Want You』のシンプルな韻の踏み方は、それだけでイメージがかき立てられる程だ。

 勿論このアルバムはそんな懇願のラブ・ソングばかりではなく、音だけで気持ちが震えるオープニング『雨の日の女(Rainy Day Women # 12 & 35 )』や、繊細なストーリー性のある『ジョアンナのヴィジョン(Visions of Johanna )』、ディラン研究家が韻の向こうにある解釈を必死に探ろうとする『メンフィス・ブルース・アゲイン(Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again )』に、典型的なディランズ・ロックな『我が道を行く(Most Likely You'll Go Your Way (And I'll Go Mine) )』、そしてLPの片面全てを費やして訥々と歌われるワルツ『ローランドの悲しい目の貴婦人(Sad Eyed Lady of the Lowlands )』等々、多才なイメージ、多才なインパクトが詰め込まれていて、ディランの創作力がひとつのピークに達した(実際はその後にいくつもピークが来るのだが)ことを証明している。

 現在は1枚のCDに収められているこのアルバム、2枚組のLPレコードを掛けていた頃、「もうこのアルバム以外何も要らない」などと思ったものだが、いまでもこのレコードを聴いていると、「もうこのアルバム以外要らない」と思えたりする。

 


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