きみよ荒野へ きみよ荒野へ
作詞:岡本おさみ 作曲:鈴木キサブロー

森進一

 

 昭和60年、晴れて社会人になった僕らを待ち受けていたのは、昭和45年入社の所謂“団塊の世代”の上司たちのキッツイ洗礼だった。
 とにかく、45年入社組が会社にはうじゃうじゃいた。入社15年、肩書きも様々。出世街道に乗っている者もいれば、肩書きのまったくない拗ねた者もいる。そういった上司たちから僕らは「特に60年入社組はなってない」と、ことある毎に叱責を受けていた。

 が、それは逆に、60年入社組の個性と団結力が強かったからに他ならない。
 45年入社組は目立ったが、その前年の44年入社組やすぐ後の46年入社組はこれといった伝説を残しておらず、こうした“○年入社組”と一括りに語られる特性は、我々60年入社組まで現れなかったそうだ。その点僕らは58年入社組からも59年入社組からも61年入社組からも、羨ましがられたり煙たがられもした。

 ひと言で云えば僕らはうわっついていた。折しもバブルに突入しようという世の中、シリアスな局面 でもどこか面白がって茶化すようなところがあり、それが不真面目とまわりには映ったようだ。
 しかし、ただそれだけだったら「最近の若い奴らは…」のひと言で片付けられていただけのものが、僕らは違った。僕らの心には「荒野」があった。

 昭和60年入社組が会社で頭角を現すのに、さほど時間はかからなかった。
 どの部署でも、どのプロジェクトでも、60年入社組は目立つ活躍をし、会社からの評価も給料も上げていった。

 8年目に僕は満たされることのない「荒野」を求め、その会社を辞めてしまった。同様に同期で転職した奴、独立した奴、いまもその会社で活躍している奴、人生それぞれ。現在もそれぞれの活躍を耳にする。
 そう、僕らはまだこれからなのだ。
男の淋しさ埋めるものは
たとえば女
男の淋しさ埋めるものは
たとえば熱い酒

男はみんな獣だった
志に燃えてた
君にいまでも荒野はあるか
命賭けているか
 社会に出て17年。僕らは僕らを迎えたあの“団塊の世代”の上司たちの年齢になっている。若い連中のどうしようもなさを嘆き愚痴る年齢になっている。
男までが浮かれている
そいつが哀しい
女はみんな着飾っている
そいつもなぜか哀しい

心のままに生きようとして
傷つき倒れ
偽りさえも許すことに
いつか慣れてしまった
 僕らは(少なくとも僕は)叱責を受けた時に、「そんなこと云って、自分はちゃんとできてるのかよ!」などという反発心は持たなかった。自分のだらしなさを、大人たちのせいには決してしなかった。
 挨拶の仕方、言葉遣い、果てはお酌の時のビール瓶の持ち方といった目に見える社会人としての最低限のマナーから、仕事の取り組み方、上を向き続ける意志の有り様といった精神的なものまで、とことん僕らは鍛えられ植え付けられた。それは矯正に近いものだった。感謝している。

 だからと云って、仕事だけにがむしゃらだったわけじゃない。僕らは面白いことを考えつくことには、殆ど天才と云ってよかった。
 羽目をはずす程によく遊び、新たな面白さを求めてよく働く。それが我々昭和60年入社組の切磋琢磨する姿だった。

 仕事で成功した時に若い連中から「ラッキーでしたね。その幸運を分けてください」なんて云われることがある。
 うまくいったことに対し僕は自分で「運が味方してくれた」とは云うが、君らのような棚からぼた餅が落ちてくるのを待ってるだけの人間からは云われたくはない。

 へらへら遊んでいる時にも、ボロボロに負けてへこんでいる時にも、そして全てが気持ちいいくらいに軌道に乗っている時にも、僕らの心には「荒野」があった。
 それは嫉妬からくる単純な“負けず嫌い”とは違うものだ。
 もっと淋しいものだ。
さすらいたいと願い
長い旅にたっても
死ぬまで淋しさ満たせないだろう
この身をさらすだけ
 岡本おさみは旅の歌を書く。
 事実、旅暮らしをしていたようで、それは文字通りの“旅”の歌なのだが、落ち着かせることのできない人生を旅に見立て、重ね合わせていたのではないだろうか。
 森進一の絞り出すようなリフレインが、寒い骨身にしみる。

 あ〜、熱燗を飲もう。

 


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