引き潮 引き潮

及川恒平

 

 レコード・ジャケットから察する及川恒平のイメージは、“繊細な文学青年”。
 シングル『雨が降りそうだなあ/何もしてあげられないよ』('74)と、アルバム『忘れたお話』('73)、それにオムニバスの『及川恒平ベスト20』('74)を僕は随分昔に買っていた。
 お世辞にも上手いとは云えない歌唱も、触れば壊れてしまいそうな程華奢な印象だった。

 その後彼が、どこでどうしていたのかは知らなかった。
 それが小室等さんのコンサートのMCか何かで、「テニスのコーチをしている」と聞いた時には驚いた。あのジャケ写 や歌のナイーブなイメージと、テニスのコーチという体育系の姿が、全く結びつかなかった。

 最近立ち読みしたアコースティック・ギター関連の雑誌で見た及川恒平は、とても逞しいおじさんになっていた。テニス・コーチという職業に「裏切られた!」とギャップを顕わにした小室さんの話も書かれていた。

 新刊の音楽雑誌に登場するくらいだから、勿論音楽活動も再開していた。
 中に、非常に興味の湧いたアルバムがあったので、早速購入してみた。
 『引き潮』('01)という、高橋全のチェンバロと及川恒平のギターのアンサンブルによる、セルフ・カバー集だ。

 『出発の歌』『面影橋から』『私の家』といった有名曲から、六文銭時代の『雨が空から降れば』、たくろうの『ガラスの言葉』、陽水との『夢のくらし』、すぎやまこういちや坂本龍一とのコラボ等々、目を引く曲が並んでいる。

 相変わらず、歌唱は細くてヘタクソだ。
 が、歌そのものは、不思議と古びていない。いや、古くなっていることは確かだ。第一、詞の中で使われている言葉自体に時代を感じる。それが古びた印象ではなく、「いい年のとり方をしたな〜…」という感じがするのだ。声に特に年輪を感じさせるものもないのだが。
 それは言葉選びの作詞のセンスと、よく聴くと届く作曲のセンスによるものだと思う。

 過去におケイとデュエットしていた『夏・二人で』は、取り立てて好きな歌ではなかった。ところが何の風の吹き回しか92年に吉田拓郎がカバーしたこの歌を聴き、評価は一変した。『NOWHEREMAN』風のリッケンバッカーを配し、とてつもなく恰好良かった。拓郎のプロデュースが、この歌の旋律の旨味を引き出していた。

 勿論、及川恒平そのままのソフトな歌の方がいいと云う人もあるだろう。
 ただ、アプローチを変えたアレンジで、異なった印象の及川恒平ソングを聴き、あらためて発見するそのメロディのふくよかさを思うとき、もっと違ったカタチでこれらの歌たちを表現していたら、いまごろ金字塔を打ち立てていたのではないだろうか… などと考えてしまったりもする。

 このカバー集は概ね、オリジナルのアレンジを基調にしていて、そうした目新しさはないけれど、自分の歌を大事にしてきた詩人のやさしい眼差しはたっぷりと含まれている。

 サトウ・ハチローの詞による『心変わり』が良かった。

 


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