PLEASE PLEASE

RCサクセション

 

 『わかってもらえるさ』がわかってもらえず(T▽T)、ロックバンドとしてのスタイル確立を模索する中、ギターの弾けなくなった破廉ケンチはRCを脱退する。
 78年、清志郎は自分で髪を切り、パンク・ヘアーに変身。カルメンマキ&OZのギタリスト春日“ハチ”博文の参加、ドラムの新井田耕造が加入と、RCサクセションはロック・サウンドを固め始めた。
 しかしRCは、多忙(?(笑))な春日博文に替わる、正式なギタリストを必要としていた。

 古井戸のチャボ(仲井戸麗市)と清志郎とは、渋谷のライブ・ハウス「青い森」からのつきあい。RCと古井戸でコンサートをしたり、お互いの家を往き来したり、文通 (笑)したりの仲だった。
 清志郎にとって、RCにジャスト・フィットするギタリストは、チャボしかなかった。チャボならRCになれる…。
 しかしチャボがRCに来るということは、二人しかいない古井戸を辞める… 解散するということだった。チャボはそういうことができない人だった。「オレはRCでやりたい」と云えば、加奈崎芳太郎が傷つくことを知っていた。加奈崎の悲しむ顔を見たくなかった。逆に見れば、そんな繊細なチャボが弾くギターを、清志郎は求めていたのかもしれない。
 清志郎は加奈崎芳太郎のソロのお膳立てをした。チャボに手紙も書いた。留守電にメッセージも入れた。「ヘビィな時期を乗り越えれば、もっとパワーがつくと思います」

 たまりかねたチャボの奥さん、おおくぼひさこ(写真家)が云った。「チャボはRCでやるべきだ」
 79年。久保講堂にて、古井戸解散コンサート。
 チャボのギャラは、清志郎の給料9万円の中から2万円が支払われることになった。2万円。。。
 そうしてロックバンドに姿を変えたRCサクセションは、気が付くと渋谷のライブハウス「屋根裏」を満杯にするバンドになっていた。

 シングル『雨あがりの夜空に』('80)が当たり、ライブ会場は屋根裏から久保講堂へ。その模様を録音したアルバム『RHAPSODY』('80)のヒットで、吉見佑子が労を尽くした「シングルマン再発売実行委員会」も実を結び、『シングルマン』再発へ。時代がRCに追いついた。
 RCサクセションは、長い暗黒時代から脱出した。

 うなぎ昇りの人気の中、アルバム『PLEASE』('80)をリリース。

 『PLEASE』は、がっかりするくらい音の細いアルバムだ。
 いや、それまでのフォーク・スタイルだった頃のRCも「ライブは鬼気迫るのに、レコードになるとつまらないバンド」などと云われていた。
 カッティングの技術の問題からか、RCのサウンドはレコードになると音痩せして、その迫力が充分に伝わらないところがあった。

 が、『PLEASE』は、その音の物足りなさを差し引いても、珠玉のアルバムだ。
 全ての曲が良いのだ。
 仕事が無い時代に書きためていた曲が山のようにあり、煮詰まることはなかったと云う。

 「別れたりはしない、嘘をついたりしない。上等の果実酒、暖かいストーブ、この部屋の中。ダーリン、ミシンを踏んでいる」 〜『ダーリンミシン

 「「モーニングコールをよろしく。たのむよ明日の朝、モーニングコールをよろしく。本物の君のキスで目を覚ませる朝が来るまで、電話で我慢するさ」 〜『モーニングコールをよろしく

 「歌うのはいつもつまらないラヴソング、おいらが歌うのは安っぽいラヴソング。そうさおまえが好きさ。おいらそれしか言えない」 〜『たとえばこんなラヴ・ソング

 清志郎の書くラブ・ソングは、少しもつまらなくない。詞ヅラだけ見るとちょっと気恥ずかしいのだが、清志郎の歌になると恥ずかしくなくなってしまうところが不思議だ。パンク・メイクになってからのイメージと、あたたかい詞のギャップが、一筋縄ではいかないスゴさを醸し出してもいた。ロックは詞だ。

 「あの夜初めて聞いたおまえのナンバー、唇にくっついたままそのまま」
 「Sweet Soul musicあのいかれたナンバー。シートにしみ込んでるおまえの匂い、他の女とは区別 がつくさ」 〜『Sweet Soul Music

 当時、こんなにファンキーで素敵なナンバーを、あんなにもソウルフルに歌っているシンガーは他にいなかった。サム&デイヴや、オーティスの匂いがプンプンする。

 「ぼくはタオル、汗をふかれる。冷や汗あぶら汗どろどろの。ぼくはタイル、便所のスリッパとなかよしこよしのお友達。ぼくはスルメ、浜に吊るされて、カラカラに干されて、あきらめても干されて、でもまだ干されてる」 〜『ぼくはタオル

「オンエアーしてください。見たいのはロックショー。Yeahミスター・テレビ局のプロデューサー。ぼくの毎日ほんとに孤独なんだ。友達はテレビだけ」 〜『ミスター・TVプロデューサー

 「いい事ばかりはありゃしない、昨日は白バイにつかまった」 〜『いい事ばかりはありゃしない

 「どっかの山師が俺が死んでるって言ったってさ、よく言うぜあの野郎、よく言うぜ。あきれて物も言えない」 〜『あきれて物も言えない

 ホリプロで飼い殺しにされていた頃のナンバーだろうか。
 『ぼくはタオル』は、ホされていることへの怨みつらみが、『いい事ばかりはありゃしない』は、やることなすことうまくいかないことへの愚痴が、『あきれて物も言えない』は、自分を過小評価した奴への苦言がこめられている。
 ちなみに『あきれて物も言えない』の「どっかの山師」とは、泉谷しげるのこと。

 泉谷はもともと「青い森」にRCを観に来るファン(客)だった。泉谷の客を客とも思わない態度の芸風(笑)は、RCに感化されたところからきていると、泉谷もコメントしている。
 客だった泉谷は、いつの間にか「青い森」の《ゲテモノ大会》で歌い出し、レコードもリリース。フォーライフの一角を担うなど、順調に売れていった。
 その泉谷がどん底にあったRCを見て、「清志郎はもう終わりだ」と云ったことに腹を立てて、この歌は作られた。もともとは「どっかの山師」ではなく「びっこの山師」と歌われていた。

 そして説明不要の名曲『トランジスタ・ラジオ』。
Woo 授業をサボって
日の当たる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ屋上で
たばこの煙とても青くて

内ポケットにいつもトランジスタラジオ
彼女教科書広げてるとき
ホットなナンバー空にとけてった

Ah こんな気持ち
うまくいえたことがない
ないあいあい
 のどかな高校生活。どこにでもいそうな落ちこぼれ。ロックン・ロールが大好きで。

 ヨコハマの場末のバーで飲んでいると「俺は○○(某ミュージシャン)と一緒につるんでた不良だった」という手合いと出くわす。「不良って云っても、俺ぁ根っからのワルだったけど、アイツはそれ程でもなかった」「大体音楽をやってるヤツがいくら「昔ワルだった」って云ったって、たかがしれてるんだよ」と、やっかみ半分か、ちょっと見下したような、有名になったそのミュージシャンをハンパ者扱いする。
 でも、僕は違うと思う。
 音楽をやってたからナマっちょろいんじゃなくて、音楽に目覚めたから、いつまでもワルぶったくだらない人生を歩まずに済んだんじゃないか… と。
 ギターは家にこもって一生懸命練習しなくちゃ上達しない。不良だろうが、ガリ勉だろうが、みんな毎日運指練習をして上手くなったことに変わりはない。それができないヤツは、何をやったって続かない。ハンパ者はどっちさ。
 ロックに夢中になった不良って、いいよな。。。

 でもこの歌は、授業をサボって煙草を吸ってたことを云いたいんじゃない。
君の知らないメロディ
聴いたことのないヒット曲

君の知らないメロディ
聴いたことのないヒット曲…
 ベイ・エリアやリバプールから届いたこんなイイ音楽を、な〜んで君はわかってくんないかなぁ… 教科書を広げてる彼女との気持ちのずれ。。。
 青春って、確かにそんなどうでもいいようなかなしさがある。
 『トランジスタ・ラジオ』は、山崎まさよしの幻のデビュー・シングルでもある。

 「君が一番素敵だった。体操をする君をみんなが1、2、3、4、見ていた」 〜『体操しようよ

 う〜ん…
 僕はこの歌の「さようならまた明日。バイバイまたね。また明日一緒に」につられて、ずっと清志郎を追いかけてるんだけどね(笑)

 


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