ひこうき雲 ひこうき雲

荒井由実

 

 松任谷由実になってからユーミンはとても達者になってしまい、勿論好きな曲もいっぱいあるんだけど、やっぱり荒井由実にはかなわない。
 かと云って、荒井由実が達者じゃなかったわけではなく、デビューした時はそれまでの日本の音楽シーンとは一線を画した達者なメロディや和声に、何とも云えない気持ちよさを感じたものだ。
 そしてその気持ちよさは、あれから30年が経とうとするいま聴いても、少しも色褪せることはない。

 キャラメル・ママ(細野晴臣・松任谷正隆・鈴木茂・林立夫)の音がいい。
 キャラメル・ママはちょうど、細野晴臣のソロ『HOSONO HOUSE』や、吉田美奈子の『扉の冬』に関わってた時期で、荒井由実のデビュー・アルバム『ひこうき雲』も含め、ある面 、バッファロー・スプリングフィールドやザ・バンドといった泥臭さを持ちながら、それでいて繊細で垢抜けた、奇跡のようなぬ くもりのあるサウンドを聴かせてくれている。

 そして荒井由実の詞とメロディがいい。
 アルバム『ひこうき雲』('73)と次作『ミスリム』('74)に於いて、ユーミンは紛れもなく天才だった。そして彼女を“天才”と呼べるアルバムは、この2枚に限られる。

 ユーミンの音楽はどこか虚構的で、それが聴き手に夢を与えてくれのが魅力とも云われるが、最初の2枚のアルバムは、例えば『ひこうき雲』という歌で「あの子」という人称を使いながらも、そこからはとても私小説的な匂いがする。
 その私小説的な部分から、「実はユーミンは素直でやさしい女の子だったんだね」みたいな、きっと本人は嫌がるだろう透明でピュアな張りが覗いている。

 『曇り空』や『ベルベット・イースター』、それに『魔法の鏡』のような歌は、松任谷由実も書くかもしれない。が、『ひこうき雲』『紙ヒコーキ』『瞳を閉じて』は、荒井由実にしか書けなかった歌だ。
遠い処へ行った友だちに
潮騒の音がもう一度届くように

(『瞳を閉じて』)
 こんな風に「友だち」という言葉を使うユーミンの歌は、その後出てこない。その「友だち」には、抽象的な“切なさ”があって、それは年を重ねる毎に失ってしまう大切なもの(これも抽象的な云い方だけど)のような気がして、いま聴くと、妙に泣けてくる。

 アルバム3作目以降、ユーミンの歌詞はどんどん具象化されていき、そう、それは視聴率を取らんが為にどんどんわかりやすくなっていったテレビドラマのようで、その分たくさんの共感を得ることはできたんだろうけど、根っこで泣ける生の感情は伝わってこない。

 自分を変えないアーティストがいる。そしてユーミンのように時代の流れと共に常に変化し続けるアーティストがいる。前者は、ともすると才能が無いだけのことかもしれない。が、時代に淘汰されることなく、意識して変わっていけるユーミンは、並大抵でない才能があると認めざるを得ない。
 が、(一時期、ユーミンのセールス数ばかりが話題になっていたことがあるが)アーティストは枚数じゃない。ユーミンがそれを両立させたことに、僕は何の感慨もない。
あてはないけど 紙ヒコーキに
愛のことばを走り書きして
くすんだレンガの街をみおろす
窓のかたちに広がる空へ
とりとめのない気ままなものに
どうしてこんなにひかれるのだろう

とりとめのない気ままなものに
どうしてこんなにひかれるのだろう
屋根にのぼると 空は近いよ
あたまをひくく雲が流れる
風のきらめき はねにたたんで
紙ヒコーキは 空のかなたへ

(『紙ヒコーキ』)
 想いをアブストラクトの中に埋めようとしている分、逆にストレートだ。
 お茶のCMから流れるこの歌を聴いて、切ない気持ちが揺れた。

 


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