ユーメイドリーム ユー・メイ・ドリーム
作詞:柴山俊之 作曲:鮎川誠・細野晴臣
シーナ&ロケッツ

 

 横浜の港にほど近い通称“コンテナ街道”沿いに、NHK横浜放送局というスタジオがある。
 正確な期間は定かではないが、おそらく僕が中学から大学生にかけての頃だったと思う、その放送局内にあるオープン・スタジオから毎週土曜日、《NHK-FM 横浜リクエストアワー》というローカル番組を公開で生放送していた。
 午後2時(だったかな?)から6時までという長丁場の番組中、ゲストがライヴ演奏をするコーナーがあり、僕はそのライヴ目当てに足繁く通 ったものだった。

 ユーミン、甲斐バンド、柳ジョージとレイニーウッド、クリエイション、ヒカシュー、Pモデル、佐藤公彦、一風堂、久保田早紀、太田裕美、アナーキー、桑江知子、岸田智史、ストリート・スライダース、ハウンド・ドッグ、ジューシィ・フルーツ、八神純子、、、 もう憶えてないくらい、そして数え切れないくらいのアーティストのライヴをそこで観た。
 その番組の私設ファンクラブのようなものもあり、学生たちが奉仕で番組の手伝い(リクエスト・カードの整理や、リクエスト曲をレコード室に探しに行ったり)をしていて、僕はそのリーダー格のお兄さんとも顔見知りになり、ゲストのサインも気軽にねだれるようになっていた。
 八神純子の回には、《NHKの窓》というTV番組のカメラが入り、どうした話の成り行きか、八神純子と一緒に僕は初のTV出演を果 たした(笑)。

 僕がその番組に遊びに行くようになったのは、中学3年の2学期、高校入試に向けて部活を引退してからのこと。たまたま聴いたラジオで、それが公開生番組だということを知り、何となく覗きに行ったのが始まり。
 観覧は無料で、申し込みも整理券も何も必要なかった。そこにユーミンが出演しても客が殺到することもない、まだ“ニューミュージック”という言葉も定着する前のことだった(いまからは考えられないよね〜)。

 中学の頃は、FMラジオをつけ、ゲストがお気に入りのアーティストだったらすぐに駆けつける… という感じだったのが、高校に入ってからはFM誌であらかじめゲストを調べ、土曜日の半日授業のあと、男友だち数人で遊びに行くようになった。そして番組終了までスタジオに残り、パイプ椅子の片付けを手伝ったりして、クイーンやチープ・トリック、デビッド・ボウイのポスターを貰ったりした。

 彼女ができてからは、彼女と出掛けた。
 京急日の出町駅で下車し(お金がなくて電車代を節約(泣))、バッタもんばかりが並ぶ楽器店を冷やかし、オデオンで古本をあさり、伊勢佐木町通 りを抜け、関内駅前の市庁舎の食堂で昼食をとり(べらぼうに安かった(泣))、NHK横浜放送局に着くとちょうど番組が始まる… というお決まりの(ビンボーくさい(泣))デート・コースだった。

 彼女は洋楽が好きで、僕とスタジオに遊びに行くようになる前から、この番組は家で聴いていたという。
 番組中僕らはずっとペチャクチャととりとめのないお喋りをし、ゲストが引けると途中でスタジオを出て、近くの喫茶店でインベーダー・ゲームに興じた。
 6時を回る頃、NHKの真ん前のバス停から出るバスで彼女は帰り、僕もそのバスに乗り込み送って行く… というのが毎週のパターンだった。僕らはバスの最後部のシートに手をつないで座り、後方に飛び去る車のヘッドライトや街の灯を眺めながら、そっとキスしたりした。
 そして彼女を送り届けた僕は、山手の丘の上から40分かけて歩いてまた定期券の使える日の出町駅まで戻り、電車に乗った(ホントに金が無かったなぁ。。。(泣))。

 高校3年の秋、僕らは別れた。というか、僕がフラれた。
 そうして彼女のことがまだずっと好きで好きで迎えた卒業式。春からは大学生になる彼女。かなしい浪人生の僕。もう今日を限りに顔を見ることさえできないのかと思うと、涙が出た。

 予備校のパンフレットがどっちゃり郵送されていた春休み。僕の足の骨にはひびが入っていた。
 卒業式の後の部活の追い出しで、僕はベロベロに酔っ払い、急性アルコール中毒で病院に運ばれていた。何をどうしたかは全く憶えていないが、意識が戻ると足に激痛が。そのまま僕は外科に回された。

 いつもの癖でFM誌をチェックすると、今度のゲストはシーナ&ロケッツ
 彼女に会いたい。彼女に会いたい。僕はシーナ&ロケッツに賭けた。

 でも僕には、ひとりでスタジオに行く勇気がなかった。そして、ひびの入った足が痛かった(泣)。
 そこでやはり受験に見事失敗した友人・チンパンを誘い、彼の肩を借りてNHKへ出掛けた。
 『ユー・メイ・ドリーム』がヒットの兆しを見せていた矢先のライヴ、会場はいつもより多くの客が入り、立ち見が出るほどだった。果 たして、その中に彼女はいた。
あなたの事想うと
すごく胸があつくなるの
いつもはユーウツな雨も
サンバのリズムにきこえる
 シンプルな歌詞とメロディ。
 ロネッツの『Be My Baby』が持っているのと同じ切なさを、この歌は持っている。
 それに2コーラス目をまるまる3コーラス目で繰り返すのも、洋楽のシングルのようでカッコイイ。
朝もやの湖に
水晶の舟をうかべて
ちょっとだけふれる感じの
口づけをかわす
 鮎川誠のレスポールは、レスポールの味を本当によく知ってる音だった。そしてそのフレーズは、きっつい博多弁を喋る本人と同じ、骨太の博多弁のようだった。

 シーナ&ロケッツの、全身に電流が流れるかの如くの怒濤のライヴがハネ、客の大半は会場を出た。彼女の姿もなかった。
 僕はまたチンパンの肩を借り、急いでスタジオをあとにした。
 NHKの真ん前のバス停。。。 彼女はひとり、バスを待っていた。

 「久しぶり。。。」
 僕の声に彼女は振り向いたが、その後の言葉が続かなかった。

 「ひとり?」
 「…… うん」

 ちょうどそこにバスが来て、彼女はステップを上がった。
 バスはプシュ〜という抜けた音をたててドアを閉め、何事もなかったように発車した。

 バス停には、走り去るバスをいつまでも目で追う僕と、声を殺して笑っているチンパンの二人だけが残った。

 桜の花が咲いていた。

 


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