DEZ ANOS DEPOIS DEZ ANOS DEPOIS

NARA LEAO

 

 ミュージカルやオペレッタの類いがどうも苦手で…。
 よく「歌は感情を表現する」と云うけど、“感情”は心身に芽生えるもので、“表現”されるものじゃない。“表現”しようとすれば、そこにはどうしても“芝居がかった”“嘘っぽさ”がつきまとってしまう。
 多くのミュージカルやオペレッタのファンは、その“嘘っぽさ”が病みつきになっているのだろうか。

 ミュージカルやオペレッタに限らず、謡曲、アリア、リート、民謡、詩吟、演歌、ロック、フォーク…等々、洋の東西を問わず、大抵の歌は何らかの感情を表した歌詞があり、歌い手はその感情を表現しようとする。
 その多くは歌に込められた感情を“想像”して歌っているのであり、当然のことながら生のリアルな感情ではない。
 「恋をしている時には恋の歌が聴きたくなる」と以前僕は書いたが、恋をしていない役者が恋の歌を演じようとすればそれは“フリ”以外のなにものでもなく、それは観客の側にもきちんと伝わってくる。僕はそういうことにシラケてしまい、どうしても他の観客のように感情移入することができない。白々しさには心動かされない。

 本当に感情的になれば、歌など歌えない。しかし聴き手に歌詞を伝えようとするなら、歌い手には冷静さが必要になり、感情をわかりやすく表現するために、本来は受け手がもっと多くの事を感じてよい筈の歌を「こう感じてください」と特定の解釈を押し付けることになる。そのことが僕には歌を聴いているのではなく、説教を聞かされているのと一緒に思えてしまう。

 本来、人間の感情を最も直接的に表現できる筈の“歌”が、文化的・社会的文脈からある一定の決まりごとに束縛され、限られた範囲内での“嘘の感情表現”を強いられる。。。
 だから僕はミュージカルやオペレッタが嫌いなのだ。

 殊更大袈裟に感情を表現せずとも、地味な歌のチカラだけで人を感動させられるパフォーマンスは存在する。

 例えば感情を抜きにしてクールにボサノバを歌うナラ・レオン。
 「人はなぜ歌うのか、なぜ音楽を奏でるのか」そんな手に負えない命題の答えがそこにはある。

 


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