サボテンの花 サボテンの花
作詞・作曲 財津和夫

チューリップ

 

 僕の通っていた中学では、毎年秋の文化祭にあわせて《歌声コンクール》なる催しがあった(いまでもあるのかな? <さすがにもうないか(笑))。

 全学年各クラスから個人またはグループで代表者1組を選出し、視聴覚委員(放送委員)と文化委員の審査による予選を通 過したクラス数組が、文化祭での本選に出場する… といった形態なのだが、何せ子供が多かった時代の話(各学年、12〜13クラスあった)、とても大掛かりなイベントでもあった。

 1年生の時はコンクールの雰囲気を知らず、ただ単にクラス全員で出場、アカペラで『戦争を知らない子供たち』を合唱し、箸にも棒にも掛からず予選敗退。
 が、視聴覚委員で審査員をしていた僕は、2、3年生の奇をてらったユニークなパフォーマンスや、フォーク大ブームのさなかきっちりとかぐや姫や拓郎をコピーする先輩たちのギターの巧さに、純粋に感動したものだった。
 その年の優勝は2年生の男子3人が演奏した拓郎の『落陽』。鳥肌が立つくらいカッコよかった。

 2年生の年、我がクラスからは僕と山本という女の娘が《歌声コンクール》の出場者として選ばれた。僕のギター(決して歌が上手かったわけじゃない(笑))、そして木琴部だった山本は、滅茶滅茶歌が上手いことで知られていた。
 歌ったのは三輪車の『水色の街』。選曲は山本。
水たまりの中で はしゃぎまわる君は
口から先に生まれたような 無邪気なおてんば娘
 僕はチェリッシュの松崎のように、時折か細いハモを挟むだけだったが(爆)、この歌で我々は堂々の準優勝。
 優勝は昨年の『落陽』での優勝者3人で、その年はかぐや姫の『加茂の流れに』を演った(これがまた巧かったんだ、やっぱり)。

 そして3年生の年。もう『落陽』『加茂の流れに』で優勝をさらった強力な3人組は卒業してしまっていない。今年こそ優勝のチャンスと、また僕と山本がクラスの代表選手に。
 曲目はチューリップの『サボテンの花』。
ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて
君は部屋を飛び出した 真冬の空の下に
 いまでこそ少々厭き気味なこの歌。当時としては結構ツボを突いた選曲だった。ステージでの山本の声の張りも抜群だった。
 かくして僕らは、《歌声コンクール》の優勝を手中にした(くどいようだが、山本のおかげ)。

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 結婚して1年が経とうとしていた。
 うどんを食べる器(どんぶり)がまだ無いことに気付き、ふたりでダイエーへ。ご飯茶碗や湯呑みはママゴトみたいに可愛らしい絵柄で揃えていたが、どんぶりはそうそう使う物じゃないからと、シブめのものを購入した。そんなああじゃないこうじゃないが楽しく、日曜日には必ずふたりで買い物に出ていた。

 その翌日、妻は家を出た。
 まだ事態の深刻さを受け止めていなかった僕は、その新品のどんぶり2つを眺めながら、3日間を過ごした。
 4日目、妻が離婚を申し入れてきた。新しいどんぶりは1度も使われることはなかった。
編みかけていた手袋と 洗いかけの洗濯物
しゃぼんの泡が揺れていた 君の香りが揺れてた
 長い話し合いは交わるところがなかった。僕らふたりの問題だけではなかったから、尚更僕は納得がいかなかった。ただ、彼女の決意が変わらないことだけはわかった。

 何日かして、運送屋が彼女の荷物を引き取りに来た。家財道具が半分になってガランとした部屋の中で、僕はひとりで起き、歯を磨き、仕事へ出掛け、帰り、テレビをつけたまま風呂に入り、酒を飲み、歯を磨き、寝た。。。

 数週間後、僕は新しい住まいを決め、部屋を出ることにした。
思い出つまったこの部屋を 僕も出て行こう
ドアに鍵をおろした時 何故か涙がこぼれた
 ちょうど10年前に、山本とふたり、ステージの上で唄った歌が甦った。こんな風にこの歌を思い出すなんて、あの頃は思いもしなかった。
 そしてそれは、僕の人生の中でいちばんヘビィな出来事だった。
この長い冬が終わるまでに 何かを見つけて生きよう
何かを信じて生きて行こう この冬が終わるまで
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 あれからまた15年が過ぎた。
 僕は新しい家庭を持ち、父親にもなった。
 別離れた彼女が何処でどうしているのか、知ろうともしなかったし、聞こえてもこなかった。それが偶然今日、彼女の活躍を知った。少し驚いた。

 僕はいやがる娘を、強く強く抱きしめた。

 


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