BeMyBaby Be My Baby
Phil Spector

The Ronettes

 

 昨今“癒し”なる言葉が横行しているが、僕はそうした“癒し系”なる括りが大嫌いだ。

 「音楽療法」の研究が進められている。
 音楽療法は適切に用いれば、自閉症児の治療や、高齢者・障害者の機能回復にも有効だそうで、米国では犯罪者の社会復帰にも使われているらしく、とても結構なことだと思う。
 実際僕も女房の妊娠時に、精神をリラックスさせる為の講習を夫婦で病院で受けたことがあるが、その中の「音楽療法」は、それはそれは気持ちの良いものだった。

 しかし今ブームになっている商業化された「癒しの音楽」の大半は、音楽療法に便乗した安直で粗悪な発想でしかない。

 例えば、精神的に疲れている時や、悩みやストレスを抱えている時は、心を慰めるような音楽を聴くと良いと思われているが、それは単に音楽に逃避するだけで、一時的な気休めにしかならない。
 そもそも精神的に疲れたりしているのには、「人間関係がギクシャクしている」「仕事がうまくいかない」等の理由があるわけで、そこを解決しないことにはどこまで行っても救われないこと。
 深い悩みの淵にいる時に「ヒーリング・ミュージック」と題されたCDを聴いてみると、そのことがよくわかる。よけい苛々するのだ。

 市販の「癒しの音楽」「ヒーリング・ミュージック」のCDの多くは、間延びしたメリハリのない音楽の連続で、ちょうどぬ るま湯に浸かっているような雰囲気のもの。
 こうした音楽は、ものわかりよく状況を受け入れ、諦めさせる過剰適応性、悪く云えば敗北主義性を助長させ、リラックスではなく“無気力”を誘引する。
 権力者が宗教を用いて民衆を統治するような場合には、とても有効かもしれないが…。

 「まわりとうまくやっていく」ための、他人を傷つけない「やさしさ」がもてはやされ、自分の意志をストレートに主張すると「困った人」と見なされるから他人と合わせる… 一見人間関係は良好に見えても、一皮むけば互いにストレスを溜め合っていたりする。そして当たり障りのない事象を“癒し系”などと呼び、現実逃避に解決したかのような錯覚を見る。
 突き詰めれば、そうした“癒し系”ほど不健全なものはない。
 不当な扱いを受けたら抗議すればいいし、場合によっては怒ることも必要だ。不愉快なことがあれば、大声を出せばいい。
 
 落ち込んでいる時には、そんな“見せかけのやさしさ”の音楽に浸るよりも、明日生きていく希望が湧くような音楽を聴く方が良い。
 それはどんな音楽か?

 答えは簡単、「自分が大好きな音楽」だ。

 ロックが好きなら好きなロックを聴けばいいし、クラシックが好きなら好きなクラシックを、演歌が好きなら好きな演歌を。つべこべ云われる筋合いはない。
 曲調の明るい・暗いも関係ない。体質的に、短調のメロディーが好きな人もいる。だったら無理にハッピーな曲を選ばずとも、大好きなマイナーな旋律に身をまかせればいい。
 そうすると、“1/f ゆらぎ”などと謳っていなくとも、自然とα波が出てくる。要は、どれだけ前向きになれるかだ。

 そんな時僕が聴いているのは、ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』。

 


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